パーカーについて、その4
パーカーについて、その4>
戦後間もない1921年、今も販売されていてパーカーの代名詞ともなっている「デュオフォールド」を発売します。
それまでの黒基調から一転し鮮やかなオレンジ色のボディーは「ビッグレッド」と呼ばれ、7ドルという当時で最も高価な値付けにもかかわらず大ヒット商品となりました。
パーカーは「デュオフォールド」を25年保証とし、同型の鉛筆も発売するなど製品を充実させると共に、販売にも力を入れていきます。
世界各地に販売店を開拓しつつ、1918年にはジェーンズヴィルに本社工場を建設。さらに1923年にはカナダに製造子会社を設立、その翌年にはロンドンに販売会社を設立し、ヨーロッパ各国への営業を強化していきます。
また1926年には、それまでの硬質ゴムからセルロイドに素材を変更し、同時にグリーン、イエロー、ブルーなどの本体カラーも発売します。
1929年に大恐慌が起こると、他の多くの会社のペンは値下げをせざるを得ない状況に追い込まれました。
苦しい時期でしたが、ブランドを確立したいと考えていたパーカーは「デュオフォールド」価格を下げず、代わりに低価格のペンを学校用として広告費をかけずに販売するなどしてこの時期を乗り切ります。
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この記事は2012年7月初掲 名入れボールペンの【ペン工房キリタ】