ペリカンの歴史、その8

ペリカンの歴史、その8>

第二次世界大戦後、アメリカから広まったボールペンは世界を席巻し、一時市場から万年筆はほとんど閉め出されてしまいました。

1965年に400シリーズが生産終了になると、1982年までの間、一時的な復刻版を除いて、ペリカンでは万年筆の製造が中止されていました。

日本ではペリカンと言えば万年筆のイメージがありますから、万年筆を作らないペリカンは倒産するしかなさそうな気がします。

ただそれはあくまで日本でのイメージであり、世界的にはペリカンは先ずインクメーカーであり、筆記具用のインクの他にプリンター用のインクも製造しています。

そして筆記具メーカーとしても、万年筆屋というよりは総合筆記具メーカーで、特に学童用の筆記具に強いメーカーです。

ペンの他に、絵の具や糊、インク消し等、実は万年筆が無くても大丈夫な会社なんですね。

ペリカンドイツのサイトを見ると、1973年には新工場を設立し、翌年の1974年には手書き筆記体の標準書体を教育関係者と共同で発表したり しています。

1978年には体制を株式会社へ移行するなど、万年筆が無い時期のペリカンも確実に歩を続けていました。

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