リスペクトするペンメーカーの歴史シリーズ
ファーバーカステル(ドイツ)
伯爵が経営者。ファーバーカステル城を本拠に持つドイツの老舗鉛筆&ペンメーカーの歴史を綴ってみました。
以前に書いたラミーに続き、またまたドイツメーカーと言うことになります。やはり日本人はドイツ製品が好きなんでしょうね。
この2社は私が非常にリスペクトするペンメーカーであり、まず自分がファン、そしてキリタの製品にも少なからず影響を与えております。
ファーバーカステルの事業は、大きく分けて鉛筆・色鉛筆やクレヨンなどの画材系と、デザイン性に優れた万年筆などのペン系となります。
ただ絵の才能は全くなく、画材は買ったこともないのでファーバーの画材系製品に付いてはこの稿では触れません。
ペン系の製品に付いては、そのデザインと機構が秀逸で、価格も高いのですが、非常にマニア心をくすぐる逸品ぞろいです。
ファーバーカステルと言えば、なんと言っても特筆すべきは、ドイツの古い伯爵家が代々運営していて、社長の名前がファーバーカステル伯爵という点ですね。
何しろ本社が本物のお城ですから。(行ったことはありませんが・・・。)
その古い歴史からファーバーカステルの変遷と、代表的な製品の紹介をしていきたいと思います。
ちなみに文章の出典としては、ファーバーカステルのサイトと、雑誌「趣味の文具箱Vol.4」を主としています。その他、文章の一部には、あちこちのネットで拾った物が含まれますが、出典は省略します。
ファーバーカステル社の歴史は、1761年に家具職人であったカスパー・ファーバーが、ドイツ南部のニュールンベルグ郊外で鉛筆の製造を始めた事が第一歩になります。
伯爵家が運営していることで有名なファーバーカステルですが、創業者は庶民の出だったんですね。
やはり伯爵自身が「よし鉛筆を作ろう」とは思わないでしょうね。その頃にはまだカステルの名前も付いていない、ただのファーバー社でした。
鉛筆自体は、ファーバーの発明ではなく、当時は始め既に多くの鉛筆製造業者がニュールンベルグでギルドを作っていました。
そして多くの鉛筆業者の中の1社として代を重ねていったファーバー社ですが、第4代の当主であるローター・ファーバーの時代に大きく飛躍していきます。
1839年にローターは、製造する全製品に「A.W.FABER」の刻印を入れることにしました。(ファーバーカステル社の言う所ではこれが「世界で初めてのブランド商品の誕生」とのことです。)
このことによりファーバー社の名前は飛躍的に知名度が上がり、1845年には、ファーバーカステル城の元になる大邸宅も完成しました。
さらにニューヨーク、ロンドン、パリや、オーストリアのウイーン、ロシアのサンクトペテルブルグなどに販売店を設置するにおよんで、その名は世界的に広がっていきました。
ローターは、1851年に現在の鉛筆の常識となっている六角形デザインを発表し、この鉛筆の「長さ・太さ・硬度」が世界的基準となっていきました。
会社経営の他にも様々な社会貢献をしていたローターの功績によりファーバー家は男爵家となり、彼は王室顧問にも任命されましたが、まだ彼の代では男爵止まりでした。
ファーバー家が伯爵家となるのは、6代目の時代です。
ローターの息子である5代目のヴェルヘルムは早くに逝去しており、そのため孫娘であるオッテリー・フォン・ファーバーがファーバー家の後継者に指定されていました。
1898年にオッテリーは、アレグザンダー・ツ・カステル・リューデンハウゼン伯爵と結婚しました。
両家はバイエルン王国の承認の元で合併し、ファーバーカステル伯爵家となり、そしてファーバーカステルという会社名が誕生したのです。
うがった見方かもしれませんが、ある意味「成り上がり」でありながら経済力のある男爵家と、古い家柄である伯爵家の両家にとって、双方に利益のある結びつきだったのでしょうね。
1900年にはアレグザンダーが正式に6代目のファーバーカステル社の経営者となり、彼の元で会社も色々な新製品や施策を打ち出し、大きく発展していきます。
そして1905年、アレグザンダーにはカステル9000番鉛筆を発売しました。
緑色にペイントされた六角形の木軸上には、「Faber-Castell」の文字と馬上で闘う騎士ロゴが刻印されており、そのロゴは今でもファーバーカステルのトレードマークになっています。
その確かな品質と滑らかな書き味は、世界中に愛用者を生みだし、現在でも鉛筆の定番として販売され続けているロングセラーとなりました。
さらにアレグザンダーは、4代目のローターの時代に建てられた大邸宅に合体させる形で新たな城を造りました。
これが現在のファーバーカステル城で、古い部分がAltes Schloss(古城)、新しい部分がNeues Schloss(新城)と呼ばれています。
(発音は、アルテスシュロスとノイスシュロスです。・・たぶん。)
その後2度の世界大戦をくぐり抜けた社は、7代目のロナルドの時代に国内外に多くの工場や販売会社を設立、その規模を拡大していきました。
そして時を経て1978年、現在の経営者であるアントン・ヴォルフガング・フォン・ファーバーカステル伯爵が8代目として経営権を引き継ぎました。
あ、ちなみに大戦後のドイツの法律では、貴族というものはもう無いそうですが、子孫たちは独自に名乗り続けているのでしょうね。
現在の経営者であるアントン・ファーバーカステル伯爵が8代目の当主になったのが1978年、既に32年も社長の座にいることになります。
何しろ世襲ですからそうコロコロ交代することはないのでしょうが、かなりの長期政権ですね。
その間ファーバーカステルはその規模と内容を大きく変容させました。
規模としては、海外の工場や販売拠点を次々に解説し、ファーバーを世界的な大企業に育て上げました。
今では、マレーシアやインドネシア、インド、広東などのアジア地区とブラジルやコスタリカなどの中米に生産拠点を置き、世界中に販売拠点を持っています。
特に南米では、環境に配慮した工場や、鉛筆の材料になる植物の計画的栽培まで行うプラント作りを進めているそうです。
また、アントンは万年筆やボールペンなどの分野でも高級品を発売し、会社を鉛筆メーカーから総合高級筆記具メーカーに成長させました。
1993年以降、「グラフ・フォン・ファーバーカステル」(ファーバーカステル伯爵コレクション)の名前で、デザイン性に優れた高級筆記具を次々に発表し、現在では筆記具マニアにとってあこがれのメーカーになっています。
最後に伯爵コレクションのいくつかを紹介していきます。
カタログ的に全てのペンを紹介はしませんが、特に私の持っているペンを中心に好きなペンを数点だけご紹介します。
「パーフェクトペンシル」
カステル9000番の鉛筆に消しゴムを付け、鉛筆削りを組込みクリップも付けたキャップを組み合わせたセット。キャップは鉛筆が短くなってきた時の補助具エクステンダーにもなります
1本150円の鉛筆に付けるにはあまりにも贅沢なキャップ。何しろプラチナメッキ版の価格が定価で36,000円。
キャップと言ってもほとんど自己満足の使用頻度だとは思うのですが、けっこう欲しかったりします。(まだ持っていません。)
「エモーションシャープペン メープル」
中心が太く膨らんだ柔らかいカーブのボディ。メープル木材を使い、少し短めの形状は樽をイメージさせます。
全体が頭部、ボディ、先端部で3分割された独特なデザインです。
頭部をひねると1.4mmの太芯が繰り出し式でせり出してきます。
デッサンなんかにも良い感じの太芯で、最後は芯をペッと吐き出す所がまた良くできています。(たぶんラミーのABCと共通機構)
「ギロシュボールペン」
スッキリとした一本軸に大きめの天金と先金が付き、独特のスプリング式クリップがついたファーバー定番のデザインです。
ギロシュのボディは樹脂製ですが、上位版には同じデザインで金属ボディのクラシックシリーズやペンオブザイヤーシリーズがあります。
よく見ると上位版に比べると樹脂のボディはちょっとちゃっちいですが、そのシンプルなデザイン力には飽きの来ない魅力があります。
実は上記のエモーションとギロシュはケーファーの開発時にかなり参考にしたモデルです。
「ペン オブ ザ イヤー」
2003年からファーバーカステルが、1年に1本ずつ限定で発売しているモデルで、ボディの本体軸に珍しい材料を使っているのが特徴です。
デザインはギロシュを少し太くしたファーバーの典型的形状ですが、琥珀やアカエイの皮、マンモスの象牙、化石木などの稀少材が使われてきました。2010年はライフルの銃床に使われる胡桃材でした。
「ポルシェデザイン」
ファーバーカステルが、同じドイツ南部に本社を置くポルシェとのコラボで製作したシリーズ。
金属繊維やステンレス製ワイヤー、アルミの無垢棒など、車をイメージさせる金属をペンのボディーに使用し、素材感をいかした独特の製品群となっています。
どちらのシリーズも大体3万円以上からの価格で、中々全て揃えるというのも難しいですが、コレクター心を揺さぶられますね。